十字架の丘 Hill of crosses リトアニアの非暴力の抵抗が生んだ奇跡の丘
今月は売上が少ないので、事務所の物をヤフオクに出品して凌ごうかとすら考えているアルバトロデザイン代表 猪飼です。 デザイン事務所も楽ではありません。 うまくいかない単調な日々が続くとどうしても遠くに行きたくなるもので、ちょっと狙っているのがリトアニアでもあります。 リトアニアといえば、なかなか日本人には馴染みの無い国ですが、ヨーロッパ北東に位置し、正に北欧と東欧のはざまという位置にあります。 そのリトアニアの観光名所の1つに、「十字架の丘」があります。昔ソ連による統治のリトアニア人の無言の抵抗として作られたものだと言われ、十字架の数も把握されていない状況にあるそうです。 そんなリトアニア人の心の十字架の丘について、ご紹介してみたいと思います。
1.Hill of corsses 十字架の丘の概要・歴史
現在5万以上の十字架が掲げられ、日々増加していると言われる十字架の丘の起源は未だに知られていませんが、一説によるとおよそ14世紀頃と言われています。 他国からの侵略を受け、受難続きのリトアニア人がキリストへの祈りをささげる為にキリスト教関係の品物を持ち寄りだした事が発端であると言われています。 十字架の街とも言われるぐらい、十字架の生産数と技術のあるリトアニアでは辛いことがあると神に祈りをささげる事が多い信仰深い国民としても知られ、皮肉にもリトアニア人の国別自殺率は世界一という統計結果が出ているように、信仰心とは裏腹に精神的に国民にとって辛い生活が強いられ続けている国でもあります。
大型の十字架が掲げられたのは1831年、11月蜂起と呼ばれる事件の後だと記録されています。 11月蜂起とは、当時東欧の多くの国を支配していたロシア帝国の厳しい統治に反抗した蜂起の事です。 リトアニアや周辺国はロシアの厳しい統治に対し、幾度となく反抗しては失敗してきました。その度に、反乱で亡くなったリトアニア人の遺族は十字架を丘に立てたのだといいます。
統治国ロシアからの圧力を非武力で抵抗する為に、リトアニア人は数十年に渡り愛国心の象徴として十字架の丘に十字架を立て続け、耐え忍びました。 これを知ったロシア政府は十字架の丘をブルドーザーで破壊しようとしたり、ダムにして丘を沈めようとしましたが、リトアニア人の必死の抵抗により現在まで保存されました。
2.ソ連から独立後したリトアニア
1795年からロシア帝国の厳しい統治の中、十字架の丘を心の拠り所に生きてきたリトアニアは1918年に独立を回復します。 しかし、1944年からソ連に進軍され、再び統治されてしまいます。 この頃からリトアニア人にとって、十字架の丘はただの祈りを捧げる巡礼地を越えた存在となりはじめました。
聖地に近い存在となった十字架の丘は、リトアニアの非暴力による抵抗の象徴として国中から、そしていつしか国外からも十字架を捧げに人が来るようになります。
1990年、ついにソ連の統治から逃れたリトアニアにとって、十字架の丘は平和の象徴として今も機能しています。 不思議なことに、十字架の丘は何百年もの間誰にも管理される事無く存在していました。 現在でも出入りも、十字架の設置も誰でも自由に行うことができるそうです。
十字架の丘 (Cross Hill at Lithuania)
sgtravelcafe Jun 09 Brief Moments: Hill of Crosses, Lithuania
冬の十字架の丘
Kryžių kalnas
エンヤの曲に乗せて十字架の丘
Category: 建築デザイン
















