ゴールデンウィーク終わり頃からずっと引きずっていた風邪も治まり、胃に違和感と鈍痛がここ数年続いておりましたのでこの際胃カメラをしようと思い立ち、先日検査を受けてきた横内なので御座います。色々噂は耳にしていたのですが、案の定気持ち悪い思いをしたので御座います。気になる検査結果ですが、特になにもないとの事でしたのでようやく安心して寝る事が出来るので御座います。 有難う御座います。
さてさて本日はギミックの多い絵本で有名なブルーノ・ムナーリについてご紹介させて頂きます。

ブルーノ・ムナーリ(Bruno Munari、1907年10月24日ミラノ生まれ、1998年9月30日没)は、イタリアの美術家。美術家、グラフィックデザイナー、プロダクトデザイナー、教育者、研究家、絵本作家など、ムナーリは多岐にわたって活動していました。

幼少期を北イタリアのバディーア・ポレージネというちいさな街で過ごし、18歳の時ミラノへ戻り、イタリアの前衛美術運動の一つ「未来派」の活動に参加、「役に立たない機械」を発表します。ムナーリは「未来派」の中でも「後期未来派」に分類され、運動の考え方に共鳴するものの中心的な人物として活動はしていませんでした。絵本「スイミー」などで有名なレオ・レオニともこの時期未来派の芸術家として交流を持ちます。

 

1930年代、40年代はグラフィックデザイナー、アートディレクターとして雑誌の編集などに関わる一方、幼い息子の為に仕掛け絵本を企画デザインします。10冊企画された絵本は当時7冊がモンダドーリ社から発行され、後年2冊が追加されました。現在はコッライーニ社の復刻版が発行されている様です。


1958年イタリアを訪れていた詩人・美術評論家の瀧口修造と知り合い、瀧口によって1965年日本で個展を開きます。瀧口を通じて作曲家・武満徹とも親交が深く、ムナーリが贈ったオブジェをモチーフにした武満の曲「ムナーリ・バイ・ムナーリ」があります。

1960年代以降はしばしば日本を訪れ、日本の伝統的な美意識やデザインに共鳴し、影響を受けます。 1950年代からイタリアのダネーゼ社のためのプロダクトを数多くデザインし、その後も家具、照明器具などの工業製品のデザインを数多く残しています。

1967年アメリカ・ハーバード大学へ招かれビジュアル・コミュニケーション・デザインの講義を行います。以後、デザイン教育の分野でも多くの著書を書くと同時に、イタリア・ミラノのブレラ美術アカデミーなどで教鞭を執る。

晩年はこどものための造形ワークショップ活動に力を注ぎ、イタリア各地、日本を含む国外でもワークショップを行っているようです。