健康第一、毎日ジョギングを取り入れて気分一新なアルバトロデザイン代表 猪飼です。 仕事柄パソコンに座ってばかりであまりにも体を動かしていない日々が続き、数十メートルすら走ることもできない体になっていました。 コツコツとジョギングをして、今ではようやく1kmぐらい走れるようになった弱小ランナーです。 さて、体を動かさない事でなる病気や、腰痛などの故障も怖いですが、精神の病気もまたいつ襲ってくるものかわかりません。 本日はすこし衝撃的な内容です。 統合失調症と絵における変化という事ばかりで注目されがちなイギリス人イラストレーターのルイス・ウェインですが、彼の作品自体もとても素晴らしいものです。 本日は世界のイラストのあり方を少なからず変えた偉大なイラストレーター、ルイス・ウェイン悲劇の人生についてです。
1.Louis Wain ルイス・ウェイン (1860年~1939年)
ルイス・ウェインはイギリス出身のとっても猫好きなイラストレーターで、擬人化されたかわいらしい猫のイラストが当時のロンドンで大ヒットし、イギリス中で人気を博した売れっ子イラストレーターでした。 ルイス・ウェインの描くネコのイラストはとてもかわいらしく、ルイス自身生涯にわたって猫を飼いつづけていました。 ルイス・ウェインは自分の飼い猫のピーターに対し、「私の画家としての創造の源であり、後の仕事を決定づけた」とすら語っています。
大好きな猫のイラストで大ヒットし、かわいらしくも緻密に描かれたルイスの猫のイラストは当時とても革新的で、老若男女問わずロンドンを中心にイギリス、ヨーロッパじゅうに愛されました。 ルイス・ウェインは児童書から経済紙まであらゆる媒体の挿絵を担当し、非常に多くの作品を残しました。 また、動物愛護(主に猫)のチャリティーにも積極的に参加し、当時まだ酷い扱いを受けていた猫や犬など、ペットへの軽蔑感払拭の為にも無償で作品を作り続けました。 ルイス・ウェインの描く猫には、彼の愛が詰まっていました。
しかし、華々しく見える売れっ子イラストレーターであったルイス・ウェインの人生は、実はとても酷なものでした。 それは正に、悲劇の連続の人生でした。
2.ルイス・ウェインの波乱万丈な人生
1860年 ルイス・ウェイン誕生
ルイス・ウェインはイギリスのロンドンに誕生しました。 ウェイン家にはルイス以外に5人の妹がいましたが、妹の1人は若い頃から精神病と戦っていました。 ルイス・ウェイン以外の5人の妹は全員生涯結婚することは無かったそうです。
1880年(ルイス20代) 父の死とイラストレーターとしてのデビュー
絵がうまかったルイス・ウェインは美術大学を卒業しますが、父親が死去してしまい、生活費を稼ぐために職探しをします。 ルイス・ウェインの緻密な絵は当時の雑誌に評判となり、動物や風景画を中心とした絵を描いてウェイン一家の生計を立てます。
1883年 (ルイス23歳) エイミーと結婚、妻の死
やがて、ルイス・ウェインは妹の家庭教師エミリーと結婚します。 実家を離れ、二人で生活しますがエイミーは癌に冒され、結婚3年後に病死してしまいます。 妻の残した猫、ピーターこそがルイス・ウェインと猫のコンビの誕生でした。
1886年 (ルイス26歳) ルイス・ウェイン全盛期
妻エイミーの死後もルイス・ウェインはピーターをモデルに猫を描き続けました。 そして、ただの猫を描き飽き、ただの猫では仕事の幅も感じたルイスは、猫を擬人化して描きました。 これが大ヒットとなり、ルイス・ウェインはイラストレーターとして一躍有名になります。 雑誌だけでなく児童書、新聞と幅を広げ、かわいらしい猫の絵はロンドンじゅうの人々の心を掴みました。
1907年 (ルイス37歳) 経済難、そして精神病との戦い
人がよく、職人気質だったルイス・ウェインはどんな仕事も安価で受けました。 5人の妹達の生活費を稼ぐため、常に働き詰めで、自分の作品作り以外は気にしていなかったのが問題でした。 ルイス・ウェインのイラスト人気はアメリカまで届き、人気は不動のものでしたが自らイラストの価格を引き上げなかったルイスは、ひたすら忙しくなるだけで常に経済難にありました。 取引相手にだまされる事も多く、ルイスには辛い日々が続きました。 そんな中、ルイスの精神も不安定になってきてしまいます。
穏やかでやさしかったルイスの性格は一転し、疑心暗鬼で妄想に苦しむようになります。
3.ルイス・ウェインと統合失調症
妹の1人と同じ精神病になってしまったルイス・ウェインの面倒は、他の妹達が看ました。 しかし日々暴力的になり、重度の精神病になってしまったルイスを妹達は病院へと入院させました。 お金の無い妹達がルイスを送った精神病院は劣悪な環境でしたが、やがて作家のHGウェルズを中心とした当時の友人たちに支えられ、キレイで庭があり、なによりも猫のいる病院へと移されました。
1939年、ルイス・ウェインはこの病院で人生の幕を閉じましたが、病院の猫に囲まれて後期は穏やかな性格を取り戻しつつあったといいます。
ルイス・ウェインは20年近くに及んだ闘病期にも、日課であるイラストを描く事は止めませんでした。 ルイスの描いたイラストの変化は、しばしば統合失調症の患者の気持ちを探るために引用されます。 ルイスが後期に描いた絵は、それは病気の為なのか、彼自身の精神の為なのか、または意図的なものなのかは未だに分かってはいません。 しかし、病気がルイスの心を変化させ、その影響が作品に現れたというのは事実です。
そもそも統合失調症という病気は、昔は精神分裂症と呼ばれ、現在でも解明されていない事の多い病気でもあります。 遺伝での発症も多い反面、後天的な理由での発病も同じぐらい多いとされています。 病状も様々で、精神のどの部分がどう変わるかは人によります。 同じ統合失調症で絵描きである高村智恵子は、闘病中も穏やかな作品を残しているし、逆に統合失調症で独自の世界観を作り上げた芸術家やミュージシャンも存在します。
4.ルイス・ウェインまとめ
母親、妹達の為に騙されてもひたすら働き続けたイラストレーター、ルイス・ウェインの末路は彼の後期の絵からみるととても衝撃的で、穏やかだった頃の彼の絵と闘病時の攻撃的な絵が実に対照的です。 観ていて胸が締め付けられるような気すらします。
しかし、ルイスの絵は病気時との「変化」だけで語られるべきものではありません。 彼の愛した妻との思い出、そしてその妻が愛した猫への思い、こうした悲しくもポジティブで繊細な思いがルイス・ウェインのイラストからは感じられます。 そして、それこそがルイスの絵をイギリス中の人が愛した魅力の根源でもあります。 ルイス・ウェインの絵は今見てもとてもかわいらしく、素敵です。
では、病気時の絵と比較されるのがよくないことなのでしょうか? それは、また違うと思います。 彼の絵はどの時期描いても、ルイス・ウェインの絵であり、画家の使命はどんな感情であれ、人を感動させることです。 どんな怖い絵でも、楽しい絵でも、人の心を動かすことこそが絵を描く「意味」だと思います。
ルイス・ウェインはだからこそ、闘病中も絵を描き続けたのだと思います。 表現したものは変わっても、彼は生涯画家でした。 人が変化するように作品も変化をするものです。 人の人生そのものが作品であり、彼の人生はとても幅の広い作品だったと言えます。 できれば彼の「変化」を気持ち悪いと思うのだけでなく、変化をきっかけに、ルイス・ウェインの前期、中期、後期「そのもの全て」が評価される事を願います。
Louis Wain
れぎおん
よく不気味だと評する人がいますが、私は本質的な部分になんらブレを感じない…というより感じているものへの忠実さと暖かさを感じるのです。
こう思うのって変ですかねぇ。w
古謝 哲也
はじめまして。
僕も統合失調症です。一応、漫画家です。ルイス・ウェインの作品は以前からネットで見ていましたが、本当に厳しい人生を送ってきた人なんですね。
彼の絵や彼の人生に、自分も胸を引き裂かれそうな気持ちです。
今後、同じ賜物や同じ障害を持った人達が幸いな人生を歩めるような時代になってほしいなと思ってます。
僕も、その希望の為に今後も、自分の作品を描き続けて行きたく思います。
大内 英憲
始めまして、最近アメブロを、始めました「エイケン」と申します。
ブログで家族の鬱病から栄養療法でいかに回復して行ったかをかいております。先日英国の犬が200万匹もうつ病になっているとの生地がでておりましたので
其の、真偽を探る為探しておりましたところ、猪狩さんのッブログにであったわけです。そこで素晴らしい記事なので、私のブログでも是非紹介させて頂きたく
コメントしました。どうか宜しくお願いします。
うつ病が、人間だけでなくペットにも、拡がりつつあるということは、糖質の
摂取の可能性からみて、容易に想像がつく事と、認識しております。
ルイス・ウエインの半生が、とても残念です。あと100年早くホッファー博士や、ポーリング博士と、出会っていれば、20年の闘病生活はなく、もっと、もっと、より素晴らしい作品が残せたのでは、ないでしょうか。
これからも、より良い記事を書くために、訪問させて頂きます。