手塚治虫 現代の日本文化にマンガとアニメを植えつけた漫画の神様




  最近感動した時、もっと喜びを表現できるようになりたいと思うアルバトロデザイン代表 猪飼です。 欧米人のように、いやむしろラテンな感じで嬉しい瞬間は嬉しいと言う事をもっと自己表現ができるようになりたい2010年夏を過ごしております。 芸能人で言えばカイヤ川崎ぐらいになりたいのですが、それもまた世間的に難しい話です。 さて、最近ついにキャラクターデザインの仕事が入りました。 そこで本日はキャラクターの神様、手塚治虫先生の生い立ち、膨大な作品、そしてキャラクターについてリサーチ結果をブログにてご紹介したいと思います。 私の世代だけでなく、気がつけば近くに手塚作品があり、絵やストーリーの奥深さに無意識に感銘を受けながら育った人は、日本人なら少なくは無いはずです。 そんな幼少の記憶と共に、日本マンガの最高峰であり、歴史を変えた男、手塚治虫作品の醍醐味をご紹介できればと思います。 

 1.手塚治虫が変えた日本、そして世界

昭和の頃、日本は手先の器用さで電気製品や車を海外を真似て製造、販売し、大成功を収めていました。 結果として電気製品、精密機器を通しネットやゲームで日本が世界的に有名かつ優位になれました。 しかし、現在の日本が世界に最も誇れる文化はもはや中国や韓国に追い抜かれつつある電気製品ではなく、世界的に揺ぎ無い評価を与えられているマンガやアニメであると言えます。

ではマンガやアニメは何故現在の日本でこんなにもプライオリティが置かれ、高い水準の作品・作家をキープし続けているのでしょうか。 その秘密も昭和の日本にありました。

当時マンガはまだ子供の暇つぶしの為の様な存在であり、食べ物で言えば駄菓子のように、ある意味大人からは認められていない存在でした。 これは海外どこも似た扱いで、小説は退屈で読めないけど、絵本は卒業した、子供の娯楽程度の存在価値しかありませんでした。 当然マンガ家は非常に給料が低く、社会的にも褒められた立場ではなかったのは言うまでもありません。 しかし、この情勢に一石投じたのが手塚治虫でした。

手塚治虫は、天才的なストーリー作りと絵の表現手法で革命的なマンガを数多く発表し、日本中の大人のマンガに対する認識を変えました。 手塚治虫の書いたマンガはアメリカのキャラクターのようなイラストチックなクオリティの高い作画表現で、大人でもついもっと読みたくなるようなストーリーと展開でした。 手塚治虫以降、マンガ読者の年齢層は一気に引き上げられ、マンガは作品として認識されるようになりました。

さらに手塚作品はアニメの評価も変えました。 国民的人気のあった手塚作品のアニメ化は多大な人気を博し、手塚自身も愛したディズニーアニメが長編アニメとして人気を独占していた中、日本発信の手塚作品は日本人のみならず、ディズニー作品にまでも強い影響を与えました。

以降手塚治虫を憧れてマンガやアニメの世界に飛び込む若者が急増し、一大エンターテイメントとして認められたのも手塚治虫あってこそだと言えます。

2. 手塚治虫の歴史

1928年、大阪に裕福な会社員の家族の元に生まれた手塚治虫(本名:手塚治)は不自由なく漫画やディズニーアニメ、またアメリカのチャップリンの喜劇などを心から楽しむ子供でした。 後に一家は兵庫県の宝塚市へと引越し、家族で宝塚劇を楽しむ優雅な日々をすごしました。

小学校に入ると、昆虫や天文学、また最新科学などに強い興味を持つようになりました。 手塚少年は、当時から絵がとてもうまく、図鑑の絵を真似して非常にリアルな虫の絵を何枚も描いていたそうです。ペンネームもこの時から「手塚治虫」と虫をつけるようになり、いかに昆虫への興味があったかが伺えます。 また、当初クラスでいじめにあっていた手塚治は、漫画を描くことによりクラスでの人気を勝ち取り、先生公認の学校漫画家として活躍しました。

まわりの温かい目と共に漫画を描く楽しさを覚えていった青年手塚治を襲ったのが戦争でした。 空襲による恐怖の中、軍の医大に入り、戦時中も時間を見つけてはマンガを描き溜めて終戦を憧れて漫画家として活躍できる時を夢見ていました。

戦争が終わるとすぐにマンガの道へ進もうと、手塚治は書き溜めたマンガを描き直し、積極的に出版社を回り、ついにマンガの連載を勝ち取ります。 そして既に漫画家だった酒井七馬が手塚の才能を見出し、長編ストーリー漫画の合作を二人で制作し、長編「新寶島」が完成します。 これがヒットし、長編漫画を発表できるようになった手塚は次々と新しい長編作を制作し、どんどん漫画での自分の幅と技を磨いていきました。

医大へ通いながらの執筆を行っていた手塚は漫画の執筆に追われ、卒業後の進路として将来を保障された医者か、まだ立場の低い漫画家の道を選ぶかの苦悩の選択を強いられました。 しかし手塚の漫画の才能を知っている教授や、母親を筆頭に周囲から漫画家の道を進むことを勧められ、満を持して医大卒業後漫画家の道を選びました。 しかし勉強も優秀であった手塚治は結局漫画家になりながらも大学を卒業後インターンシップも行い、国家試験も通過して医師免許も取得しています。

【伝記】 手塚治虫の生涯 MANGA MASTER Part.1

【伝記】 手塚治虫の生涯 MANGA MASTER Part.2

【伝記】 手塚治虫の生涯 MANGA MASTER Part.3

【伝記】 手塚治虫の生涯 MANGA MASTER Part.4

3. トキワ荘から始まる手塚治虫伝説

大学を卒業し、漫画の仕事がさらに急増した手塚は出版社の本拠地である東京へ引っ越します。 1952年に上京した手塚は出版社学童社の紹介で豊島区のトキワ荘に入ります。 その後学童社は次々と上京してきた漫画家達をトキワ荘に住まわせ、いて寺田ヒロオ、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫といった当時を代表する漫画家達が刺激し合って住む漫画家の聖地となりました。

トキワ荘には売れっ子の漫画家だけでなく、当時彼らに憧れた多くの才能ある漫画家やアシスタントが押し寄せ、手塚のいる2年半の間は毎日漫画家達の声が耐えない日本を代表する漫画関係者の溜まり場となりました。 このトキワ荘は神聖化され、取り壊された今でも巡礼する漫画家も多いそうです。

本業漫画家となった手塚治は膨大な連載、長編単発作品を抱え、人間とは思えないスピードで数多くの作品を世に送り出し続けました。 長編の代表作は「ジャングル大帝」、「鉄腕アトム」、「リボンの騎士」、「火の鳥」、「どろろ」、「ブラック・ジャック」、「三つ目がとおる」などがあります。

4. アニメーションと手塚治虫

医者よりも漫画を取った手塚治が、漫画と同じぐらい興味があったのがアニメでした。 アメリカのディズニーが作るアニメを夢見て育った手塚はいつか、自分の作品もアニメーションにしたいという強い願いがありました。 低価格でもアニメの仕事を積極的に受けた手塚の作品は大成功するものの、事務所としても経営不振となってきてしまいました。

しかし手塚は実験アニメーションも多く作り出し、手塚治の情熱をかけた数多くの実験アニメは今のアニメーションと比較しても実に革新的なものが多く存在しています。

手塚治虫の制作した実験アニメーション (Wikipediaより)
・ある街角の物語
・おす
・めもりい
・人魚
・タバコと灰
・しずく
・展覧会の絵
・創世記
・ジャンピング
・おんぼろフィルム
・プッシュ
・村正
・森の伝説

 手塚治虫「実験アニメーション」 8/13 ジャンピング

手塚治虫「実験アニメーション」 3/13 めもりい

5. 手塚治虫まとめ

誰よりも負けず嫌いだった手塚治は、1日4時間程度しか眠らず、とにかく数多くの漫画を描き続けました。 ついには手塚治虫は下書きもせずにペンを直接入れて原稿を仕上げ、両手で別の漫画を描いたり、同時に3つの漫画を描いたりと、常に限界スレスレの漫画家生活でした。 手塚治は若い漫画家であろうと、自分よりもいいと思えるところは常に影響を受けつつ、猛烈にライバル視したそうです。

手塚の最後は、胃がんとの戦いでした。 昏睡状態で気がつく度に「鉛筆をくれ」といい、死ぬ最後の最後まで漫画を描き続けたのは有名な話です。 手塚の病気は過労が一番の原因ではないかとも言われています。 病院に入ってからも手塚は、頭の中で漫画に表現したいアイデアが山ほどあるのに、手と時間が足りないと常に嘆いていました。 1989年、ペンを片手に昏睡状態のまま目を覚ますことはありませんでした。 手塚は闘病しながらも、「グリンゴ」「ルードウィヒ・B」「ネオ・ファウスト」「火の鳥」などのタイトルを執筆中で、全て手塚の死を持って未完作品となりました。

アニメ、漫画、どちらをとっても手塚の残した作品と、世界へもたらした影響は異常なほどです。 本当に負けず嫌いだった手塚は、他の漫画家だけでなく、自分にすら負けたくないという強い意志があったのだと思います。 天才というのは、自分にすら負けたくないほどの負けず嫌いを言うのかもしれません。 手塚治虫が残した漫画作品はタイトルだけで700タイトル、原稿用紙15万枚にも及び、アニメ作品は70作品を制作しました。

私が子供の頃憧れた漫画の神様手塚治虫は、本当に神様だったのかもしれません。 これぐらいの勢いの有る人間になりたいとも恐れ多くていえませんが、一生1つの仕事でも本当の天職というものは存在するのだなと感動してしまいます。

Related Post 関連記事
中村佑介 (なかむら ゆうすけ) 日本の新鋭イラストレーター アジカンCDジャケットからアニメ四畳半神話大系まで すみません、前回のあいさつ文のままブログを更新して気づきもしなかったアルバトロデザイン代表 猪飼です。 最近はアルバトロデザインでオリジナルTシャツの制作や、公式サイトのデザイ...
アキラ 大友克洋による伝説的なコミックとアニメAKIRAの世界 本日より翻訳係からブログ主導権を取り戻したアルバトロデザイン代表 猪飼です。 久々の記事早々、書いた記事がPC不良で一瞬で全て消えてしまい、定期的にセーブをするという事の大切さ...








にほんブログ村 デザインブログへ FC2 ブログランキングへ 人気ブログランキングへ

← Previous post

Next post →

3 Comments

  1. 今回の記事、感動してしまいました。
    手塚治虫は本当の神様だったんですね・・・。

    猪飼さんの記事はいつも刺激を受けるものばかりです。これからも応援してます。

  2. morishita

    猪飼さま

    はじめまして。

    わたしは、福岡県でデザインの仕事に携わっております、
    もりしたと申します。
    先日、仕事の資料を調べている最中、
    偶然こちらのブログを拝見させていただき、
    感動し、コメントを書き込ませていただいております。

    日々の忙しさを理由に
    うわっつらだけをかざっている自分の横っ面を
    ひっぱたかれたような気分になっております。

    これから、他の記事もゆっくり丁寧に
    読ませていただきたいとおもいます。

    福岡より、こちらのブログの更新を、
    自分を叱咤激励するため、
    デザインを大好きだと再認識するため、
    心より楽しみにしております。

    ありがとうございました。

    もりしたかづこ

  3. りんか

    手塚先生素晴らしいです
    同じ土地に生まれたのを光栄に思います!
    私も手塚先生のように漫画を描き続ける
    漫画家になります!

コメントを残す