GWもなんとか仕事をがんばるアルバトロデザイン代表 猪飼です。 最近1980年代の映画の独特なパンチが恋しくなります。 1980年代の映画といえば、ハリウッド映画の全盛期でロボコップやジャックニコルソンのバットマン、ターミネーター等名作が次々に生まれていました。 ちょうど子供の頃だった私はアメリカから来たどうやって撮影したのかもわからない、ハリウッド映画に衝撃を受けました。 特に恐竜が好きだったので、映像の中でどうして恐竜や怪獣達が動いているのかとても興味がありました。 その後、大人になってレイ・ハリーハウゼンという特殊映像スタッフがストップモーション・アニメーションで制作していたと知りました。 本日はそんな幼少の思い出と共にレイ・ハリーハウゼンについてです。
1.レイ・ハリーハウゼン
レイ・ハリーハウゼンはストップモーション・アニメーションというコマ撮りで映画に出てくる恐竜やモンスター達を動かし、リアリティを超えた独自の芸術と呼ばれるまで昇華させた特殊撮影職人です。 コンピュータが発達し、CGが主流となった今、映画の特殊撮影としてのコマ撮りは使われる機会はほとんど無くなりました。しかし、1980年代までは映画の見せ所としてストップモーションで動くモンスター達が大活躍していたのです。 このストップモーションによる動きは完全に職人技で、セルアニメのように人によって動きがまるで異なり、職人の腕が競われる所でもありました。
通常映画は監督や俳優が注目されます。 監督や俳優によって映画が大きく変わる為、評価の重点がどうしても集中してしまうからです。 しかし、レイ・ハリーハウゼンは特撮の監督は行うものの、映画全体としてはどちらかというとスタッフに近い存在ですが、CGが進化した今でも現役アニメーターから強い人気を誇るクリエイターです。 レイ・ハリーハウゼンの携わった映画をまとめてBOX販売したり、監督ではなくレイ・ハリーハウゼンが参加したかどうかで映画の人気が全く異なるほどです。
映画に出ている俳優や監督よりも、1人の技術スタッフの名前で映画が有名になるというのはなかなか無い話です。 そんなマスター・オブ・モンスターと呼ばれた天才ストップモーション・アニメーターのレイ・ハリーハウゼンはどんな人間だったのでしょうか。
レイ・ハリーハウゼンの技術を代表するシーン
1963年 骸骨兵士との戦闘シーン
2.レイ・ハリーハウゼンの歴史
レイ・ハリーハウゼンは1920年にアメリカのカルフォルニアで生まれました。 映画好きで撮影や演劇、彫刻などを学んでいたある日、当時大ヒットした映画「キングコング」を鑑賞して衝撃を受けました。 1933年に公開され、様々な斬新な特殊撮影が盛り込まれた映画「キングコング」は、レイ・ハリーハウゼンだけでなく世界的に衝撃を与えた作品でした。 日本ではゴジラやウルトラマンを生み出した円谷英二(円谷英二についての記事はこちら)も「キングコング」を教科書にして撮影したというぐらい、世界各地へ影響を与え、社会現象とまでなった映画です。
映画「キングコング」を観て、自分の映画像が確定されたレイ・ハリーハウゼンは猛然と映画界へ飛び込みます。 第二次世界停戦に巻き込まれながらも、退役後自主制作で「赤ずきんちゃん」等のパペット・アニメーションを5作品作り、この作品は学校や協会向けに全米で支給されるされました。 こうして着実にスキルを身に着けていったレイ・ハリーハウゼンは、かつてからの憧れだった「キングコング」の特殊映像を担当したウイリス・H・オブライエンに出会います。 ハリーハウゼンはすかさず自分の過去に作った作品を彼にみせ、オブライエンはこれを高く評価し、次回作「猿人ジョー・ヤング」(1999年にマイティ・ジョーとしてリメイクもされました)への参加を約束します。
「猿人ジョー・ヤング」は「キングコング」のスタッフが再集結した作品で、正に憧れの映画のスタッフ達と共に働ける環境にハリーハウゼンは感動します。 ヘッド・アニメーターとして選抜されたハリーハウゼンの参加した「猿人ジョー・ヤング」(Mighty Joe Young) は1949年にアカデミー賞を受賞し、映画と共に「レイ・ハリーハウゼン」の名も業界で有名になって行きました。
King Kong Trailer (1933)
「キングコング」 1933年予告編
KIng Kong 1933
「キングコング」 1933年予告編2
Mighty Joe Young (1949) Trailer
「猿人ジョー・ヤング」 1949年予告編
2.レイ・ハリーハウゼンの作品
「猿人ジョー・ヤング」で若くして最高峰の特撮映画に参加したレイ・ハリーハウゼンは「原子怪獣あらわる」(1953年 The Beast from 20,000 Fathoms) の特殊撮影を引き受けます。 これは後に日本の円谷英二による1954年の特撮映画「ゴジラ」へ強い影響を与えました。 以降数々の映画に参加し、素晴らしいクオリティの特殊撮影を行ってきたレイ・ハリーハウゼンはCGの生まれる1980年代まで、天才アニメーターとして活躍しました。
レイ・ハリーハウゼンの作り出すストップモーション・アニメーションは「ダイナメーション」と呼ばれ、実写映像に合わせた動きだけでなく、独特な緻密さとダイナミックさを兼ね揃え、観ていて何処か気持ちのよい動きを表現しました。 こうした作品は日本の円谷英二や、ジョージルーカス等、世界中の特撮監督に強い影響を与え、1992年にはアカデミー特別賞を受賞しました。
レイ・ハリーハウゼンは1981年の「タイタンの戦い」以降は特殊撮影から引退し、ロンドンへ移住して特殊撮影の講義等をしています。
■レイ・ハリーハウゼンの関わった主な作品
『猿人ジョー・ヤング』 Mighty Joe Young (1949 : Effects Technician)
『原子怪獣現わる』 The Beast from 20,000 Fathoms (1953 : Animation Effects)
『水爆と深海の怪物』 It Came from Beneath the Sea (1955 : Special Effects)
『空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956 : Special Photographic and Animation Effects)
『動物の世界』(1956 : Effects Technician)
『恐怖の27日間』(1957・日本劇場未公開 : Flying Saucer Effects)
『地球へ2千万マイル』 20 Million Miles to Earth (1957 : Visual Effects)
『シンバッド七回目の航海』 The 7th Voyage of Sinbad (1958 : Associate Producer, Creature-fx)
『ガリバーの大冒険』(1960・日本劇場未公開 : Visual Effects)
『SF/巨大生物の島』 Mysterious Island (1961・日本劇場未公開 : Special Visual Effects)
『アルゴ探検隊の大冒険』 Jason and the Argonauts (1963 : Associate Producer, Special Visual Effects Creator)
『月世界探検』(1964・日本劇場未公開 : Associate Producer, Visual Effects)
『恐竜100万年』 One Million Years B.C. (1966 : Special Visual Effects)
『恐竜グワンジ』 The Valley of Gwangi (1969 : Associate Producer, Visual Effects)
『シンドバッド黄金の航海』 The Golden Voyage of Sinbad (1974 : Producer, Story, Special Visual Effects)
『シンドバッド虎の目大冒険』 Sinbad and the Eye of the Tiger (1977 : Producer, Story, Visual Effects)
『タイタンの戦い』 Clash of the Titans (1981 : Producer, Visual Effects)
『エルフ サンタの国からやってきた』(2003 : 声の出演)
Sinbad – Cyclops Scene 1
シンドバッドの冒険より
Jason and the argonauts Jason y los argonautas, lucha contra talos
タロスの怪人シーン
Sinbad – Snake Woman Dance
ヘビ女のダンスシーン
Mysterious Island (1961) Part 4
巨大カニとの戦闘シーン
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