バディ・ホリー Buddy Holly ビートルズやウィーザーに影響を与えた 悲劇のロカビリー・シンガー




  クーラー効かせ過ぎて喉が痛いアルバトロデザイン代表 猪飼です。 本日は引き続きフランス人インターンのティボ君による記事です。 エルヴィスプレスリーや、ビートルズといったロック・ミュージックの起源といわれた伝説のアーティストの中に、彼らに強い影響を与え、ロカベリーやブルースから音楽の方向性を変えた伝説のミュージシャン、バディ・ホリーを紹介しています。 悲劇により短い人生だったものの、実質彼が現代の音楽に与えた影響は計り知れません。

When we think of the beginning of Rock & Roll music from the fifties, we usually think of Elvis Presley, Little Richard, Chuck Berry, Bill Haley or Jerry Lee Lewis. But there is one man you should know, his name is Charles Hardin Holley, better known under the name of: Buddy Holly.
( This article contains not only Japanese but also English )

1.バディ・ホリーという人物 Life of Buddy Holly

He was born in 1936 in the United States, more precisely in Texas. His all family was interested in music, at the age of 5 he won a singing contest. When he was 19, he saw Elvis Presley sing in his  town. He decided to add Rockabilly to his influences, with Blues. At the end of the year, he made two openings of big singer, one for Elvis Presley and one for Bill Haley & His Comets. After his performance, Decca Records signed with him a contract, funny thing, he misspelled his name and they wrote: Holly, that’s why his professional name is not Buddy Holley but Holly.

To continue his musical career he formed his own band which would be called: The Crickets. Buddy Holly was playing lead guitar and vocals, Joe B. Mauldin was playing bass, Niki Sullivan at the guitar and Jerry Allison for the drums. His first record didn’t make a success, Decca Records decided not to renewed his contract. However he signed with Brunswick Records, and on May 27, 1957 “That’ll be the day” was released, it was a big hit, he started to appear on TV show , his career was beginning.

By the year 1958 he released “Oh Boy!” and “Peggy Sue” which both reached top ten of United States and United Kingdom charts. In 1958 he got married in a really strange way: He proposed to Maria Elena, his wife, on their first date! His wife said : “I’d never had a boyfriend in my life. I’d never been on a date before. But when I saw Buddy, it was like magic. We had something special: love at first sight,”. When he moved to New-York to develop his career, the band didn’t want to follow him, so they split up in 1958.

バディ・ホリーは1936年にアメリカのテキサスで生まれました。 バディ・ホリーは5歳の時にコンサートで優勝するほど彼の家族は全員音楽に夢中でした。バディ・ホリーが19歳の頃、エルビス・プレスリーがバディの町に来ました。 初めて見るエルヴィスに強い衝撃を受けたバディ・ホリーはロカベリーを自分の音楽(ブルース)に取り入れることを決断します。 その年の末、バディ・ホリーは2組の大物アーティストの前座を勤めることとなります。 1人は憧れのエルヴィス・プレスリー、もう1人はビル・ハーレイ&コメッツでした。 この大仕事の後、デッカ・レコードはバディともミュージシャンとして正式に契約することを決めます。 おかしなことに、この時バディは自分の名前Holleyのスペルを間違えてHollyと書いてしまいました。 以降彼はBill Holleyという実名ながらBill Hollyと名乗ることになります。

ミュージシャンとして経験をつむ過程でバディ・ホリーはクリケッツという自らのバンドを編成します。 バディはギター・ヴォーカル、ジョー・B・マーディンはベース、ニック・サリバンはギター、ジェリー・アリソンはドラムを担当しました。 彼らの初のレコードは売れ行きが悪く、デッカ・レコードは契約を打ち切りましたが、バディ・ホリーとクリケッツは1957年5月ブランズウィック・レコードと契約を結びます。 やがてバディ・ホリー達は「That’ll be the day」をリリースしました。 これが大ヒットし、バディ・ホリー達はテレビに出演し、ミュージシャンとしてのキャリアが始まります。

1958年、バディは「Oh Boy」と「Peggy Sue」をリリースし、どちらもアメリカ、イギリスのチャートでトップ10に入ります。 同年、バディ・ホリーは実に奇妙な方法で結婚しました。 マリア・エレナという女性にバディは初デートでプロポーズしたのです。 マリア・エレナは「私は今までボーイフレンドを持ったことも無いし、デートもしたことがないの。でもバディを観たとき、私は魔法にかかったように一目ぼれしてしまったわ。」と言いました。 二人は結婚しましたが、バディのバンドクリケッツはバディがニューヨークに移動した際解散してしまいました。

Buddy Holly And The Crickets – That’ll Be The Day (Live ’57)

Buddy Holly – Oh Boy in HD

Buddy Holly & the Crickets – Peggy Sue (live 1958)

2. バディを襲った突然の死 Death of Buddy Holly

In the beginning of the year 1959, Buddy Holly was asked to perform a show at Dance Party by the GAG Agency. The artists performing this show were supposed to do a three-week tour, but it turned out that the traveling conditions were horrible, so Buddy Holly decided to charter a small airplane to go to the next concert. Ritchie Valens, seventeen years old, The Big Booper, twenty-eight years old and Buddy Holly who was twenty-two at this time died in a airplane crash.

He left behind him many fans and artists, but above all he left a widowed wife two weeks pregnant… This accident is called “The day the music died” thanks to a Don Mc Clean song, named “American Pie” which was released in 1971. Here is a part of this song talking about this accident:

But february made me shiver
With every paper I’d deliver.
Bad news on the doorstep;
I couldn’t take one more step.

I can’t remember if I cried
When I read about his widowed bride,
But something touched me deep inside
The day the music died.
1959年、バディ・ホリーはGAGエージェンシーにダンスパーティーでの公演を依頼されます。 この公演は3週間に及ぶものでしたが、連日の悪天候の為陸路の移動は厳しいと考えたバディは小型の飛行機をチャーターして次のコンサートへ移動する事を決めました。 新メンバーのリッチー・ヴァレン17歳、28歳のビック・ブーパー、22歳のバディー・ホリーはこの飛行機の事故によって死んでしまいます。

彼は多くのファンやアーティスト、そして妊娠2週間の妻を残して突如この世を去ってしまいました。 この事故は「音楽が死んだ日」として1971年にリリースされたアメリカン・パイという曲で以下のように歌われています。

But february made me shiver  2月は私を震え上がらせる。
With every paper I’d deliver.  私が配達員の頃配った新聞と
Bad news on the doorstep;  玄関前の悪いニュースで
I couldn’t take one more step. 私はもう一歩も歩けなかった

I can’t remember if I cried もう泣いたかどうかも覚えていない
When I read about his widowed bride, 彼の死別した結婚について読んだとき
But something touched me deep inside なにかが私の心の奥底に触れた
The day the music died. 音楽が死んだその日。

  Don McLean: American Pie

 

 

3. バディ・ホリーのもたらした影響 Influences

Even though Buddy Holly died when he was 22, he let a huge work behind him which deeply influenced Rock & Roll music. He was ranked #13 among “The Fifty Greatest Artists of All Time”, he inspired for instance The Beatles, The Rolling Stones, Bob Dylan, and was a spearheaded of popular music.

The name of the Beatles is homage to Buddy Holly, because of his band’s name: The Crickets. When he was on stage, he was always wearing Wayfarer Black glasses, the ones which are very trendy today, and a legend says that his Wayfarer were found intact in the plane’s wreckage, maybe one more thing Charles Hardin Holley let to our world.

バディ・ホリーは22歳でこの世を去りましたが、ロック界に多大な影響を与えました。 バディは「偉大な世界のミュージシャン50人」の13番目に選ばれ、ビートルズやローリング・ストーンズ、ボブ・ディラン、そして各時代を引っ張るミュージシャン達に強い影響を受けたミュージシャンとして支持されています。

例えば、ビートルズ(カブト虫達)という名前はクリケッツ(コオロギ達)という名前に敬意を込めて付けられています。 また、バディ・ホリーがステージでいつもかけていたウェイファーラーの黒ぶち眼鏡は現在とても人気のメガネの型です。 そんなバディのメガネは壊れた飛行機の中から出てきました。 もしかしたら、バディが私達に遺品として残してくれたのかもしれません。

Weezer – Buddy Holly
ウィーザー「バディ・ホリー」 バディ・ホリーの事を歌った曲です

Elvis Presley, Buddy Holly, Carl Perkins & Johnny Cash
エルヴィスとバディ・ホリーの貴重な映像

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2 Comments

  1. バディ・ホリーが生きていたら、もっと日本でもメージャーな存在だったでしょうね。。。
    映画ラ・バンバ でもリッチーとともに登場しラストでは、悲運な事故で幕を閉じてましたね。。
    高校時代に見た映画、「ペギースーの結婚」で初めて彼を知り、その甘い独特な歌い方に魅了されCDを買いました。彼の存在を知ってから、プレスリーを聞くとそっくりな歌い方でしたね。。。
    今日も自分のストライクな話題に楽しく読ませて頂きました。。。

  2. IKAI

    >brfさん
    書き込みありがとうございます! 仕事中の忙しいティボ君に代わってヘントウ炎に悩む私猪飼から返信です。
    バディ・ホリーは本当にもうすこし長生きして欲しかったですね。
    もっと曲をリリースしていれば本来ならば、プレスリーやビートルズのような存在になっていたのでしょうね。

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